2015年06月29日

自己肯定感とは

しばらくぶりの更新です。
なんとなくPCと離れたいと思ったのと、ピヨも順調に中学校生活を送っているので今は主人のサポートに専念しています。

育児についていろいろ私なりに勉強をしていましたが、最近やっと「自己肯定感を育てる」とはこういうことなんだと再認識することが出来ました。
誉めることがいいと聞きます。我が家ではよく誉めていたのですが、それがどうも自己肯定感とは違うものを生み出しているような気がしてなりませんでした。

ピヨについては、どうしてでしょう?人間関係において今まで自分自身がうまくいかなかったことを『失敗して欲しくない』と言う想いが先にたってしまって無意識に否定していることが多かったと思っています。
この無意識というのは厄介ですね。

先日、ピヨが風邪で休んでいるお友達のお家にお見舞いに行くと言い出し、出かけて行きました。
お見舞いの品を用意し、他にもう1人男の子のお友達と一緒に行ってきたらしいです。
風邪をひいたお友達のお母さんは、お見舞いのお返しにいろいろお菓子を勧めてくれたのですが、ピヨにとってはあまり嬉しいものではありませんでした。アイスだったらしく食べきれる自信が無かったとのこと。

その話を私にしてくれました。
「アイスを差し出されて『嫌いなんでいいです』って断ったんだけどいいよね。S(もう1人の友達)は嫌いなんて言ったら失礼でしょって言ってたけど。」

以前の私の答えならS君と同じように「S君の言うとおりだよ〜せっかくお友達のお母さんがくれたのに」と言うと思います。
何故なら、私は自分の気持ちよりも相手の気持ちを大切にしたいからです。自分が多少我慢しても相手の好意は受け取るべきだとずっと思っていました。だから無意識のうちに言葉としてでてくるのです。
ピヨの気持ちは否定されています。ママはS君の味方だとピヨは思うでしょう。

でもピヨは、いらないものを頂いても返って失礼だと思ったのです。
そうです、本当はそれでいいのです。
ピヨは自分がこうしたいと思っても、私の視点で話すことで、身動きの取れない状況をつくっていたのです。

今回の私のピヨへの答えは「自分の意思をはっきり言えたから良かったんじゃない?」です。

自分の意思を伝えることが相手に失礼だと思い黙って受け取ることは、実は一番簡単な方法なのです。
でも、自分は本当はどう思ってどうしたいのかをまず伝えることは、コミュニケーションの基礎ではないかと思うのです。
相手にそれを上手にお断りするお勉強はこれからじっくり学ぶこと。

子どもの考えたことや感じたこと思ったこと、全て「そんな風に思ったんだ」と受け取ることで、子どもの自己肯定感は育つのだと思いました。これからは自己肯定感を育てるためにたくさん肯定してあげなければと思います。

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2015年05月18日

キラキラした目

ウサが生後3ヶ月検診の時に上の子も下の子も月齢がほぼ同じお友達に出会いました。
そのお友達は2人とも男の子なのですが、事あるごとにお出かけしたり食事に行ったりするようになりました。うまい具合に性格も似たような感じで、遊ぶ時にはそれはそれは楽しそうに遊んでいました。
ピヨとウサには『いとこ』がいないのでとても貴重なお友達です。

幼稚園に入る時、(お友達は保育園ですが)一緒に手縫いのバッグを作ったり名前を縫い付けたりと準備もしたり、連休になれば公園へ行ったりとしょっちゅう遊んでいましたが、ある時、家の子とお友達の子の様子に私は違和感を感じました。

それは 『目』です。
2人の男の子はとってもキラキラしていて、生き生きとしていました。

家の子は?キラキラしていません。
何が違うんだろうとずっと思っていたのですが、当時は幼稚園に行き渋り泣く事が多かったピヨ。イヤイヤ行っていたのかもしれません。
確かに私も毎日イライラして、子ども達を叱ることが多かったです。
その当時は、幼稚園の体制にも疑問を感じていて不満も多くありました。
私は幼稚園が原因だと思い込んでいました。

今考えると、私はピヨの顔をきちんと見ていなかったかもしれません。ピヨが求めてくることを拒否して、自分が努力せず他の場所に理想を求めていたように思います。

子どものキラキラした目は、本当にステキです。
生きようとする気持ちって、目に表れるのかもしれないと思うのです。
ピヨには目の輝きが、まだありません。
自分に自信をもって前に進めるようになった時、初めて輝いてくると思っています。
キラキラした目にいつなれるのか、とっても楽しみにしています。

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posted by ひよっこ at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月07日

変化を恐れる母と助ける娘

連休は実家に帰りのんびりしてきました。
母は今、とても楽しくて穏やかに過ごせていると話していました。
そんな母を見て、私はとても嬉しく思います。

やっと私に依存することをやめた・・・それは本当にここ数年の話です。
世間では『毒親』とも言われているようですが、あぁ、私以外にも親のことをそんなふうに捉えている人がいたんだ〜と思ったことがあります。

母はとてもさみしがりやで、心配性で、私が行動を起こすことを嫌っていました。
私は出来るだけ母を安心させること、そばにいてあげようと思っていたのですが、中学、高校と進むに連れて、友人と遊んでいても素直に楽しむことも出来ず、何かをしていても心ここにあらずで、常に母の顔が浮かんでくるのです。

そしてある時、自分は何のために生まれてきたのだろうと考えるようになりました。

母は何かと、私が幼かった頃に口にした言葉を中学生、高校生になった時でも投げかけて来ました。幼い頃の純粋な気持ちを使って、私を縛ろうとしました。

本来親は、自分から巣立っていく子どもを喜ばなければなりません。
でも母はいつも何かで繋ぎとめておきたいという気持ちがありました。
私は、自分が母のそばにいなければ、母は幸せになれないと思っていました。
不安で押しつぶされて寝込んでしまうのではないかと思っていたのです。

私は苦しくなって自分から、その繋ぎとめていたものを切りました。
そして自分が幸せになれば母はもっと幸せになれる!と思うことにしたのです。

母に会いたくない時期は15年でした。出来るだけ自分に素直に距離をとることにしました。
すると母は自分から察知したのか少しずつ距離をおくようになりました。
そういう経過を経て、今やっと心から会いに行けるようになった気がします。

今思えば、母は不安で仕方なかったのだと思います。自分から見えない場所へ行ってしまうことが・・・。

母を安心させなければと、縛っているのは自分自身だったのです。

自分が幸せであれば何も問題はありません。
自分が幸せになれたときこそ、人を幸せに出来ると私は思っています。

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