2016年09月09日

話の聴き方

私が育児の勉強会など出掛けて学ぶようになってから、かれこれ3年近くになります。
月に一度開かれるグループセッションは、一ヶ月間の自分の行動の振り返りと新たに起こった心配事など話せる場です。私が今の自分を保てていられるのは、月一のコーチの支えがあるからだと思っています。

この3年間で何が変わったのかと聞かれても、自分ではよく分かりません。
でも、子どもから「ここでいつも怒るのに怒らないね。」と言われるようになったことや
ピヨが少しばかり私に対して反抗的な発言をするようになったことを考えると、私も少しずつ変わってきているのだろうと思います。

話の聴き方の理想は見えているのに、なかなか実践は出来ないのが現状です。

ウサは6年生になり愚痴を言うことが増えてきました。
先生のせいにしたり友達のせいにしたり、自分以外は全て悪者です。
そんな時は、つい、提案したり喝を入れてしまうのです。
そしてウサに言われます。
「聴いてほしいだけだもん。」

気分を一新させるには時間がかかりますよね。
悪口に便乗せず、ウサの気持ちに集中して、「そうなんだ」「悔しかったね」「大変だったね」「よく頑張ったね」などなど、意識してひたすら聴くことが私の理想です。
子ども達が大人になるまでに、理想の聴き方が何回できるのか自分への挑戦です。


ご訪問ありがとうございます足跡残してくださると嬉しいです
コチラ↓

にほんブログ村
posted by ひよっこ at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

チック トゥレット症候群

昨夜放送の ザ!世界仰天ニュース はチック トゥレット症候群を発症した男性の50年間の人生ドラマでした。
発症頻度は小児期の10〜24%
チックの95%は一過性のものだそうです。

私の兄がトゥレット症候群と診断を受けたのは今から20年前でした。
小児期には全くそのような症状はなく22歳で発症です。
大学に進学したのですが、あと一年で卒業という時に症状が悪化し退学せざるを得なくなったのです。
経済的にも厳しい状況だったので、両親は気持ちの余裕が無く、退学した息子の状況を一切受け入れられず対立するばかりでした。
大学も卒業できず仕事も見つからない日々。
自傷行為はありませんでしたが奇声を発したり踊るようなしぐさを繰り返したり呼吸が乱れたりが主な症状でした。
私にとっては大好きな兄だったので、兄の症状に関しては全く気にならなかったのですが、ある時私の何気ない言葉に激しく怒り出し、私も徐々に兄を避けるようになりました。

今回の放送を見て、尚のこと、どうしてあの時兄の味方、理解者になってあげられなかったのだろうと悔やみます。あの時両親の気持ちを優先させてしまった・・・。

とても穏やかで優しくて頭が良くて尊敬出来る兄でした。

そして20年たった今、やっと穏やかな優しい兄に戻りました。

本当に残酷な病気です。
今思うのは、あの時家族のサポートがあったなら兄は20年もの長い年月を費やすことはなかったのではと思うのです。
ですが兄は成人していたので、病院側から家族には何も説明がなく薬を処方されるだけでした。
脳内の神経伝達物質は、医学的に言えば足りない物質を薬で補ったり抑制したりするのでしょうが、脳の中のこと。ざっくりいえば、普段私たちが快だと感じる状態が必然ではないかと思うのです。
余計なストレスが一番の毒であり、本人も家族もストレスを感じずお互いを受け入れる方法を見つけることが大事なのだと思います。

病気についてオープンに話せる環境が家庭には必要なのです。
家族なのだから・・・。

ご訪問ありがとうございます足跡残してくださると嬉しいです
コチラ↓

にほんブログ村






posted by ひよっこ at 11:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月31日

子どもとの対話

中学2年生になったピヨは、不登校や摂食障害の時期を乗り越えて、たくさんのことを学んだはずと思っていました、ですがここ最近、気になることを言うようになりました。中学生になり会話という会話が随分減ったので、子どもとの距離を感じていた矢先の話です。

学校へ行けるようになったのは自分の頑張りだ
ひとりで全部テレビや本から学んだ

不登校になり、どれだけ周りのお友達や先生が力になってくださったか、と私は思うのですがとにかく自分が頑張ったということを強調したいようなのです。
最初はあまりにも傲慢な娘の態度に、苛立ちました。
夫も抗癌剤をうちながら、どれだけピヨのことを優先に考え、周りの理解を得ようと学校に何度も足を運び「誰のおかげで・・・」と思いました。
そして、ピヨが頑張ったんじゃない、いろんな人が関わってくれたからだと説教しました。

でも・・・

まずは娘の頑張りがなければ乗り越えられなかったこと。
ピヨが頑張ったことを否定してはいけないのです。
「ピヨが一番頑張ったね」といいました。

ピヨをみていて、他人から得ているものを感じとれていないのか?
それとも感じながらも自分が満たされていないのか を考えると、後者があてはまるのです。
どう考えても分からないはずはないのです。

認めてもらいたいという、ひとつの甘えのようなものなのでしょうか?

中学生になると、身の回りのことは自分で出来ますが、考えていることは未熟です。
自尊心を傷つけずに、大人とどんな対話をするのかが、実はとても重要な気がします。

もしかしたら日々の言葉の中に、隠されたメッセージって、たくさんあるのかもしれませんね。

ご訪問ありがとうございます足跡残してくださると嬉しいです
コチラ↓

にほんブログ村


posted by ひよっこ at 12:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする