2016年01月15日

来世での約束

主人が余命一ヶ月と言われたのは、11月でした。
それからピタリと一ヶ月後に亡くなりました。

小学校3年生の時に祖母が亡くなった時、それはそれは悲しくて沢山泣きました。そして人はいつか死んでそしてあの世でまた会えるんだとそう思いました。それからの私はいつでも会えるという気持ちで亡くなっていく人たちを見送って来ました。
そして主人との別れの日も。悲しくなんかない。
「もう話さないで!後は大丈夫だから」

呼吸状態が悪化したのは亡くなる2日前でした。

3日前、子ども達の今後の話や、もし、年末に自分に意識が無い状態でもみんなでゲームしたり写真を撮って欲しいと。
主人はとても強い人でした。恐れることなくそして、亡くなる直前まで私の心配をしてくれていました。

そんな主人と、来世で会えるとしたらいつ会おうかという話をしました。
主人は「また夫婦として」と言いました。
私は、「パパが中学生の時に会いたい」と言いました。
主人も「好きなアニメの話しやゲームの話をしてくれる女の子がいたら人生変わってたかもなぁ。じゃぁ中学生にしよう!」

来世があるなら、間違いなく私は主人と出逢いたい。


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posted by ひよっこ at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

本当の孤独死

ピヨが精神的にも安定してきたので、気持ちに少し余裕が出てきました。

どのような病気であっても病気のその辛さを心底理解してあげられることはなかなか出来ません。
特に癌に関しては手遅れになれば『死』に至るまでの時間が短すぎることで、本人の意思もはっきりしないまま治療が進められていくことがほとんどです。

癌が見つかった当初、私のせいだと自分を責めていましたが、次第に主人自身が招いたことなんだと主人を責めてしまったりしたこともあります。どうしてこんなことになってしまったのかということの方が気になり、主人の気持ちはほとんど考えていませんでした。

主人の肺には転移した癌が数個残っています。
しかし、今まで病気に対してどう考えているのか、意思を明確にしてきたことはありません。
私が言うまま、病院の言うまま、流されてきたようなそんな気さえします。
私は主人に歯痒さを感じていました。

先日、主人の叔父が肝臓がんで亡くなりました。主人に癌が見つかり手術やら抗癌剤で辛かった頃、気にかけて励ましてくださいましたが、自分に癌が見つかった時にはとても立ち直れないくらいに落ち込んでしまったようです。

そんな叔父さんのことを分かってあげたいと思い、主人は手紙を書いたりしましたが、そこには見えない大きな壁があって立ち入れない状況だったようです。同じ癌患者としても主人の思いは届きませんでした。
家族がいつも一緒にいてお世話をしても、どうにもならない孤独感はあったのかもしれません。
そう思うと、本当に辛かったことと思います。

主人もまた自分の未来に不安を感じると言います。私もこの先どうなってしまうのだろうという未知なる不安に襲われることがあります。
しかし患者である主人の不安と、患者を支える私の不安の中身が違うのです。
異なった不安を抱えた2人が一緒にいて、お互いを理解するということはとても難しいのです。

ピヨが不登校になった時と同じく、真っ暗なトンネルの中に入ってしまったような気さえします。
ピヨの不登校を何とかしようとしていた時は、主人の気持ちを無視してきました。
そのほうが楽だったからです。私には、2人の気持ちを受け入れられるほど器が大きくないからです。

でも、少し気付いた気がします。もし主人に孤独感があるのなら、その孤独感を排除する努力が必要かもしれません。
もしかしたら孤独感がなくなった時、初めて生きる希望が見えてくるのかもしれません。
そしたら2人の間の溝は埋まるのかもしれない。
そんな仮説を立ててみました。

こうなったら突き進むしかありません。そばにいるから大丈夫・・・ではないのです。原因の追究よりも寄り添うこと。

孤独にしてはいけない。 

長い時間をかけて、やっと少し前に進めそうな気がしてきました。


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posted by ひよっこ at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月08日

初喧嘩

私達夫婦は頻繁に喧嘩?します。
最終的には納得できるまで話し合って解決するのですが、今回は年末からの私の不満がここに来て爆発しました。

先日ピヨの中学校制服の採寸で出掛けたのですが、道が込みそうな予感がしたので主人に車で送って欲しいとお願いしていました。
年末からあれもしなくちゃこれもしなくちゃと自分を追い詰めて更に睡眠不足だった主人だったので本当に疲れ切った顔をしていました。どう見ても具合悪そうなので、当日行く気満々の主人に「大丈夫だから休んでいて」と話しましたが混んだら大変だから、とどうしても行く気です。

結局ピヨの採寸中は、吐き気もして動けない状態。おまけに座る椅子が硬いと文句言いながらもウトウトしながら待っていました。
帰りの車中では自分が来てスムーズに来れて良かったと思い込みたいようで、そんなことを口走っていましたが、そんな主人に呆れてしまって言葉もありません。

主人の生き方を認めると、この先自滅してしまうんじゃないかと心配でなりません。
自分の病気に対しての向き合い方が私にはどうしても納得できないのです。
何が正しいいことなのか分かりません。私が不満をぶつけることで主人はストレスに感じ癌細胞の思うがままになってしまうのかもしれません。だから何も言わずにそっとしておくべきなのか?
でもここ数日のリンパが減ろうがこの先長い目で見たら闘うべきだと思う自分との葛藤があります。

体を冷やさないように、夜眠れない時は、その分疲れたときに体を休めるようにと何度も言っても自分を正当化する言葉しか出ず、眉間にしわを寄せながら自分の中のやらなくちゃいけないことをやっています。(私から見るといつでもいいことなのに・・と思うのですが。)

家に帰り、さすがに言うことを聞いてお昼寝。
最初は真っ青な顔色が寝ているうちにピンク色になってきて、そんな子どものような主人をピヨとウサと三人で眺めていました。

そんなこんなでここ数日は、少し自分のことを考えられる言葉が出始めたので多少は私の気持ちを理解してくれたのかもしれません。


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posted by ひよっこ at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする