2015年04月23日

『出来ない』 ことを 『出来ない』 と言える

学校を休んでから、ピヨにまず教えたことは
『出来ない』 ことを 『出来ない』と言う  ということでした。
学校へ行くことが出来なくなったことで、自己肯定感は最低レベルまで下がったのです。

そんな時、親の期待を感じとったり、自分の理想が高かったりすると、 『出来ない』 ことなのに 『出来る』 と言ってしまう子どももいるようです。

ピヨの場合は、 『出来ない』 ことを 『出来ない』 と言える子でしたが、親の私たちが無理やり外に連れ出したりすることも度々ありました。しかしできるだけ 『出来ない』 と言ったらそれを優先するようにしました。
それを繰り返したことで、(あぁママは自分のペースに合わせてくれてるんだ)と気付いたようで、本音を言えるようになった気がします。

継続登校中は出来ないことだらけでした。そんな事が出来ないの?と思うのですが、この作業は大変重要な気がします。
『出来ない』 を 『出来る』 にもっていくには、ある程度前向きな気持ちの時に使えますが、不登校の時は『出来ない』 なら 『やらない』 でいい。

『やらないこと』 を選べないから、休めないから、不登校になったのでは?と思うからです。
何も考えずにどんどん休む。人がなんと言おうと、どんな風に見られても自分が出来ないのなら休む。
これって大人になっても本当に大事なことです。

そして私はピヨにこう伝えました。
「ママはピヨが健康であることが一番うれしいんだよ。自分の体を良く知って大事にするんだよ」と。

自分の体を自分で知ること、それは大人になってからも必要です。
親やみんなに合わせるのではなく、自己管理することを覚えさせる意味でも必要なのです。

そうやって過ごすうちに、いつの間にか何でもチャレンジ出来る時がやってきます!

もっと図太く生きましょう〜。

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2015年04月21日

想像してみる

もし何もやる気が起きず、何もしたくない状況になったときこんな関わり方をして良い結果が得られそうなのは、@〜BとC〜Eではどちらでしょう?

@何もやる気が起きない自分に対して「頑張れ」とか「これくらい出来るでしょ?」と言われたら。
A何もやる気が起きない自分に、誰も話しかけてくれないし、部屋に引きこもっても何も言われない。
B何もやる気が起きない時、家族がみんな暗くて怒ってばかりいて、すぐ泣く。


C何もやる気が起きない自分に対して「大丈夫」「今辛いだけだから、きっと良くなるよ」と言ってくれた。
D何もやる気が起きない自分の話を聴いてくれて、どうなりたいか一緒に考えてくれたら。
E何もやる気が起きないけど、家族みんなが元気で笑っていてくれる。

「学校へ行きたくない」と子どもが言った時、親の対応はおそらく様々です。
無理しないようにすぐに休ませたり、話を聴いてあげたり出来る余裕があればいいのですが、どうしても出来ない時、親自身の不安を解消したいという思いが強く、子どものことを考えられなくなってしまいます。

我慢の限界まで来てしまった子どもは、負のスパイラルに引き込まれてしまっています。
自分のことで精一杯になるので、友達を気遣うことすらありません。そして家では愚痴が多くなるのです。
そしてそれを聞いた親はまた不安になり子どもを責める。
それは、子どものことを思うあまりに人の自然な流れなのだと私は思います。

今辛くても、いったん考えることをやめどのような結果になりたいのか?想像することをオススメします。
自分がどうするべきか見えてくると思います。

そして、今以上に最悪なことは起きないと信じて、笑うことです。
とにかく笑う。家族が一緒になって笑うことは幸せを呼び寄せます!



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2015年04月19日

焦りは現状を変えようという標し

主人のことも子ども達のことも、私はいつでも焦りを感じています。
精神面で問題を抱えてしまった場合、のんびり構えることも大事ですが、心の片隅にこのままではいけないという意識は必要なのではないかと思います。

問題を意識しなければ、その問題を解決しようという意識も沸き起こってこないからです。

小さな問題を取り上げては、お説教ばかりしているとお互いが疲れてしまいます。
今は休ませる時期だとのんびり過ごすことは、頭の中が整理でき、お説教の日々よりも確実に回復に向かいます。
でもあまりにも家が居心地良くなれば、先のことも考えず、このままニートでもいいかなぁなんて考え始めるようになります。その場合は対応の修正が必要です。

経済的な話は子どもには関係ないと、話をしない人も多いようですが、我が家は子どもに、今現在の子ども達の(お祝いで頂いた)お金をあずけ、それを資金にしてやりくりしていくことを教えています。
お金は使えば無くなること、働くまでは収入が無いのでお小遣いの中で考えながら使うことを覚えています。
もちろん使う楽しみも覚えます。
与えられた場合、意外にも子どもは考えて使います。教えてもいないのにいつの間にかお小遣い帳もつけ始めました。

全て親の庇護の下にいれば、何も考えず、それは楽だと思うのです。
欲しいものがあればおねだりし、食べることにも苦労なければ何も考えなくてすむのです。
しかし私たち親は、年老いていずれ人の世話にならざるを得ません。そうなった時、自分の子どもが自分のことも出来ないなんて、困るのは子どもです。
必要に迫られたら、動き始めるのでしょうか?それはまるで賭けのようなものです。

現状を変えようとする意識は、未来を明るく照らしてくれると、私は信じています。
ただ、焦りと急かせることは違いますので、くれぐれも混同しないでくださいね。

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