2015年03月16日

本当の孤独死

ピヨが精神的にも安定してきたので、気持ちに少し余裕が出てきました。

どのような病気であっても病気のその辛さを心底理解してあげられることはなかなか出来ません。
特に癌に関しては手遅れになれば『死』に至るまでの時間が短すぎることで、本人の意思もはっきりしないまま治療が進められていくことがほとんどです。

癌が見つかった当初、私のせいだと自分を責めていましたが、次第に主人自身が招いたことなんだと主人を責めてしまったりしたこともあります。どうしてこんなことになってしまったのかということの方が気になり、主人の気持ちはほとんど考えていませんでした。

主人の肺には転移した癌が数個残っています。
しかし、今まで病気に対してどう考えているのか、意思を明確にしてきたことはありません。
私が言うまま、病院の言うまま、流されてきたようなそんな気さえします。
私は主人に歯痒さを感じていました。

先日、主人の叔父が肝臓がんで亡くなりました。主人に癌が見つかり手術やら抗癌剤で辛かった頃、気にかけて励ましてくださいましたが、自分に癌が見つかった時にはとても立ち直れないくらいに落ち込んでしまったようです。

そんな叔父さんのことを分かってあげたいと思い、主人は手紙を書いたりしましたが、そこには見えない大きな壁があって立ち入れない状況だったようです。同じ癌患者としても主人の思いは届きませんでした。
家族がいつも一緒にいてお世話をしても、どうにもならない孤独感はあったのかもしれません。
そう思うと、本当に辛かったことと思います。

主人もまた自分の未来に不安を感じると言います。私もこの先どうなってしまうのだろうという未知なる不安に襲われることがあります。
しかし患者である主人の不安と、患者を支える私の不安の中身が違うのです。
異なった不安を抱えた2人が一緒にいて、お互いを理解するということはとても難しいのです。

ピヨが不登校になった時と同じく、真っ暗なトンネルの中に入ってしまったような気さえします。
ピヨの不登校を何とかしようとしていた時は、主人の気持ちを無視してきました。
そのほうが楽だったからです。私には、2人の気持ちを受け入れられるほど器が大きくないからです。

でも、少し気付いた気がします。もし主人に孤独感があるのなら、その孤独感を排除する努力が必要かもしれません。
もしかしたら孤独感がなくなった時、初めて生きる希望が見えてくるのかもしれません。
そしたら2人の間の溝は埋まるのかもしれない。
そんな仮説を立ててみました。

こうなったら突き進むしかありません。そばにいるから大丈夫・・・ではないのです。原因の追究よりも寄り添うこと。

孤独にしてはいけない。 

長い時間をかけて、やっと少し前に進めそうな気がしてきました。


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posted by ひよっこ at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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